秋の釧路へ…2009.10.10(Sat.)〜10.11(Sun.)
秋のニッポンを空から眺める(10日)

連休を釧路の我が家で過ごすために、10日、朝9時5分のANAに乗る。
秋が深まってくると空気が澄んでくるので、
窓側の席に座って地上を眺めていると飽きない。
岩手県と青森県の県境、二戸あたりだろうか、
山の頂がほんのりと紅くなっていることに気がついた。
きっと一面の紅葉なのだろう。
飛行機は襟裳岬あたりから東北海道の上空を海岸線に沿って飛ぶ。
ぼくは左側の座席(26A)に乗っていたので、日高地方の海岸線がよく見えた。

釧路らしい透明感のある蒼空、そのなかに真っ白な雪をかぶった雌阿寒岳がくっきりと浮かび上がる。
後で知ったのだが、この日が初冠雪である。
釧路にいるときは、毎日のように幣舞橋の夕景を撮りに行く(10日)
いつものように出かけていくと、
釧路港の岸壁にはサンマ棒受け網の漁船がびっしりと係留されていた。
連休とあって漁を休み、漁師たちは三々五々どこかで時間を潰しているのだろう。
ぼくがカメラを持つようになったのは案外遅く、いまの仕事についてからである。
1979年の4月、初めてもらった給料をはたいてニコンのFMを買った。
その頃カメラは、趣味というよりは、商売道具という意味あいが強かった。
当時のテレビ局は、
地方の現場ではムービー(フィルムやVTR)を使えない場合もあって、
そういう時は記者やディレクターが
自分でスチール写真を撮らなければならなかったのである。
そして、その年の6月14日、ぼくは釧路放送局に赴任した。

ぼくは、ほぼ毎日渡ることになった幣舞橋からみえる夕日に見惚れ、カメラを向けるようになった。
そのころ、フィッシャーマンズ・ワーフ MOO(写真の建物で港湾観光施設)はまだなく、
この位置には魚の卸売市場があった。
朝には魚を満載したトラックが橋を渡る風景が珍しくなかった。
車が通り過ぎた後には、サンマやイワシが何匹も路面に落ちていたものである。

それから早いもので30年になる。
仕事でスチール・カメラを使うことはほとんどなくなったが、いまだに毎日持ち歩いている。
機種はニコンのFA、ハッセルブラッド、ミノルタ7700iと遍歴(と浪費)を重ね、
やがて毎日大きなカメラを持ち歩くのがいやになって、CONTAX Tのシリーズを使うようになった。
10年ほど前からはデジカメに切り替え、これもニコンから始まって現在のSIGMA DP1に至る。
その間、何百枚の「幣舞橋の夕景」を撮ったことだろうか。
釧路に家を建てたこともあって(いまはほとんどローンだけを払っているような格好なのだが…)、
いまだに飽きもせず撮り続けているというわけだ。
釧路は秋が一番美しい季節だ(11日)

夏に天気が悪い釧路は寒くて暗い街だと思われがちだが、
実は年間の日照時間は日本でも有数の長さを誇っている。
秋から冬にかけて、連日天気がいい日が続くのである(もっとも天気のいい日の方が寒いのだが…)。
どこまでも深い空の蒼さと
日に日に寒くなっていく時期の光の鮮烈なまでの透明感は道東特有のものだ。
空と水の青と陽光を受けて輝く枯れ葦の黄金色…天地がこの二色に染め分けられる時間がぼくは好きだ。
…きょうは買物を兼ねて我が家の近所にある春採湖を散歩した。
湖畔には遊歩道があって、散歩する高齢者やジョギングをする女性たちと次々にすれ違う。

夕方近くなると、いつものように幣舞橋に向かう。
いつも同じような風景でありながら、光や雲…毎日どこかが違うのである。
きょうは昨日よりもさらに天気がよく、光の具合が美しい。
夢中になってサンマ漁船を撮っていたら、自分の影が映り込んでいるのにまるで気がつかなかった。
幣舞橋のシンボル「四季の乙女」像
左は、実りの豊饒を表現したのだろう、グラマラスな「秋」(柳原義達 作)。
幣舞橋の4人の乙女のなかで一番の「不美人」であることは衆目の一致するところだ(笑)。
右は出番を待つ「冬」(本郷新 作)である。

きょうの夕日はきのうとはまた違う夕日。
陽が沈むと気温が10℃を割り込み、寒くなってくる。
幣舞橋から近い釧路全日空ホテルのロビーでFLETS SPOTに接続し、blogをアップする。
夕食には、きのう和商で買い込んできたナメタガレイと鯖の一夜干しを食べた。

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